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東京高等裁判所 昭和61年(く)87号 決定

少年 T・K(昭46.8.14生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年作成名義の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  事実誤認の主張について

少年は、審判で決定を言い渡されたとき、裁判官から、「11月には3日ぐらいしか学校に行つておらず、12月には5日ぐらいしか行つていない」と言われたが、登校日数が全然違つているというのである。

しかし、記録に綴られている○○中学校長の回答書によると、11月は「21日中18日欠席、遅刻2回」、12月は「20日中15日欠席、遅刻3回」であることが認められるから、裁判官がさきのように言つたとしても、まちがいではない。また、右回答書によると、前回児童相談所送致の処分を受けた昭和60年9月18日以降の登校状況は、合計107日中85日欠席、遅刻17回であるから、原決定が、「前回審判時に約束した学校への登校も殆ど行わず、欠席勝ちである」とのべている点も、まちがいではない。このように、原審の裁判官が事実の認定をまちがえたものとは認められないから、少年の言い分はとおらない。

二  法令違反の主張について少年は、審判のときには、裁判官がどんどん話して少年の話を聞いてくれないので、言いたいことも言えなかつたと不平をのべている。

しかし、審判のようすを記載した調書によると、少年は、母親を殴つたり、学校を欠席した理由、○○先生(児童福祉司)や父、母と話し合つたようす、出られたら新聞配達をして母を助けたいとか、母とうまくやつていける自信があるなど、自分の処遇についての希望、その他いろいろのべていることが明らかであるし、裁判官は、そのほかにも、少年が調査官にくわしく事情をのべた報告書もよく読んだうえで審判に当つているのであるから、少年の話を聞いてくれなかつたという主張も理由がない。

三  処分不当の主張について

少年は、春休みから新聞配達のアルバイトをする予定でいたのであり、そうすれば、母に暴力を振るうこともなくなるし、小遣いも稼げて母に迷惑をかけることもなくなるので、母との対人関係をうまくやつていける自信はあつた、審判のとき父に言いたいことがあつたのに、父が来てくれなかつたので少年院送致になつたと思うが、この処分はあまりに重過ぎてひどいと思うというのである。

しかし、少年が、前回の処分により児童相談所の指導を受けているにもかかわらず、母親に対する暴力をくり返している点については、少年の素質、環境に基づく性格的なかたよりに深く根ざしているものと認められ、アルバイトにエネルギーをついやすことだけによつて解決できるものではない。少年の性格上の問題点は鑑別の結果に現われているのであつて、これを直していくには、施設内における専門家の指導がどうしても必要であると認められ、少年の父、母あるいは児童相談所による指導では不十分である。原決定が少年を初等少年院に送致することとした処分は適正妥当と認められ、これが不当であるということはできない。以上一ないし三のとおり、少年の主張する不服はすべて理由がないから、少年法33条1項、少年審判規則50条により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 船田三雄 裁判官 半谷恭一 龍岡資晃)

〔参考1〕 抗告申立書

抗告申立書

少年 T・K

右の者に対するぐ犯保護事件について昭和61年3月5日初等少年院送致の旨決定の言渡を受けましたが左記の理由に依つて不服につき抗告を申立てます。

昭和61年3月12日

抗告申立人T・K

東京高等裁判所御中

抗告の趣旨

抗告の理は、裁判官の方が、しんぱんの時に、言っていた、事実がちがうので抗告をします。その理由は、学校に通っていた(2学期)の事です。それは、11月の終わりから、学校に行きはじめました。でも、それをしんぱんの時に裁判官が言っていた、登校日数が、ぜんぜんちがうのです。裁判官に言われた事

「11月には、学校には、3日ぐらいしか行けず12月5日間ぐらいしか行ってない」とぼくは判決を言いわたされる時このように言われ、しんぱんや、さいばんは、法に関する物なので、ぐらいとか、だいたいと云ったように、あやふやな答えでは、いけないと思います。そのために調査官と云う人物がいるのに、調査官は、学校へ問い合わせるわけでもなく、役目を果たしてないと思います。そのため本人T・Kは、本当に心に深くきずつけられ、それからと云うものだれのことも、あまり心ようできなくなり、前よりも1人でよけいなやむようになりました。しんぱんの時には、裁判官がどんどん話して、ぼくが言いたいことも言えずぼくの話しを聞いてくれないので、それでは話しにもならず、T・K身ずからの意志を無しで、しんぱんでも何でもないように思えます。それなのに、ぼくは少年院に送致にされるのは、あまりにもひどいと思います。でも、学校にはもっと行っていました。あと、ぼくはお母さんとの対人関係もうまくやっていく、自信があるのに、さいばん官は、それを無ししているので、やはり、もう1回しん判をしてもらいたいです。ぼくは、春休みからアルバイト、「新聞配達」をする予定でした。そうすれば、母にぼう力をふるっていたのもバイトの方にエネルギーを使うので、ぼう力もなくなり、裁判官の言っていた母との対人関係もうまく行きますし、こずかいもかせげるので、母には一切めいわくをかけないですむので親孝行にもなると思います。ぼくは、弁ご士をつけるお金、「大金」を使うくらいの自信、母との対人関係には、それくらいの自信があります。あと、しん判の時に、お父さんが来てくれなかったので父に言いたい事があったのにそれも言えなかったので、少年院送致になったと思います。そのためもし、抗告が通り、しん判が行こなわれる事になったら、ぜひ父にも来てもらいたいです。あと、弁ご士も付けてもらいたいです。それくらいの自信が、ぼくにはあります。

〔参考2〕 原審(横浜家 昭61(少)925号 昭61.3.5決定)〈省略〉

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